|
ハービー・デントは何年も前からギルダと結婚しており、これは周知の事実である(本書においては設定が変更されている可能性があるが、とりあえずギルダが正妻だと考えていいだろう)。しかし、ジョーカーはハービーが別の女性と重婚している事実をつきとめた。そこでリドラーに依頼して、その物的証拠を盗み出してもらった(82ページ)。
ハービーは二重性ということに関して異常なまでの執着心を抱いているので、結婚に関しても二重婚でなければならないと考えたのだろう。重婚相手についてはまったく描かれていないので、想像するしかないが、ハービーにとってギルダが“貞淑な良妻”だったとすると、それとは対極にある“自堕落な悪妻”(たとえばアル中の売春婦)と結婚したのかもしれない(ギルダは連続殺人犯ホリデイだという可能性もあるので、良妻と断言することはできないが)。あるいは、ハービーは「それが愛だ」と語っているので(99ページ)、純粋に誰か別の女性を愛してしまったのかもしれない。また、この女性がどこに住んでいるかも不明である。90ページで描かれている屋敷のなかでハービーと一緒に暮らしているのかもしれないし、秘密の場所でこっそりと囲われているのかもしれない。
いずれにしろ、ハービーは誰かと重婚していた。もしこのことが世間にばれ、その物的証拠が警察や裁判所に提出されれば、ハービーは確実に逮捕され、ボスの座を奪われてしまう。では、その物的証拠とは何か? 一番わかりやすいのは、ハービーがギルダ以外の女性と結婚していることを示す結婚証明書(婚姻届)であろう(日本とアメリカでは、結婚の手続きが異なっている。くわしくはこちらを参照)。しかし、リドラーは「盗むのは不可能だと言われてた」と語っている(82ページ)。婚姻届を盗み出すのがそんなに困難だとは思えない。
では、こういう可能性はどうだろうか。先ほど書いたように、ハービーは純粋に誰か別の女性を愛して結婚した。そういう女性に対しては、遺言書を残したとしてもおかしくないはず。「私ハービー・デントが死亡した場合には、妻であるXXに遺産として○○をのこす」という遺言書があったとしたら? そういう遺言書は弁護士が管理するだろうし、銀行の個人向け貸し金庫に保管されていたとしてもおかしくない。ゴッサムでもっとも警備の厳重な貸し金庫から遺言書を盗んだとしたら、リドラーの台詞にも説明がつくだろう。また、婚姻届なら紙切れ1枚かもしれないが、遺言書なら分厚いフォルダーに入った書類一式であり、大きなブリーフケースに入れてもおかしくないだろう。
さらに想像を押し進めてみよう。もしもハービーと重婚相手との間に子供がいたとしたら? そして、その子供が双子だったとしたら? 1993年に発売された『Batman: Two-Face Strikes Twice!』という作品においては、ハービーとギルダとの間にジェームズとルークという双子が誕生したという設定になっている(ただし、この設定は現在では消滅してしまったようだ)。もしもハービーに子供がいたとすれば、遺産相続という可能性はより大きくなるだろう。
なにより、子供がいるということは、守るべきものがあるということでもある。“失うものが何もない”ジョーカーは攻める一方だが、“守るべきものがある”ハービーは防御の姿勢をとらざるをえない(だから、電話をとらなかったとも考えられる)。
ちなみに、ジョニー・フロストは「子供たちはどうなる?」と口にしているので(33ページ)、複数の子供がいることがわかる。43ページ6コマ目に描かれている家族写真には、姉と弟らしき姿が確認できるが、この子供たちが双子だという可能性もゼロではない。ハービーはジョニーを気にかけていたが、それは彼がジョーカーの腹心の部下だという理由だけではなかったのかもしれない。父親であるハービーは、同じく父親であるジョニーを、彼なりのやり方で守ろうとしていたのかもしれない。
ともあれ、ジョーカーは物的証拠を手に入れた。これは彼にとって切り札となるものである。ジョーカー側とハービー側は血で血を洗う抗争を繰り広げるが(92〜93ページ)、実際にはジョーカー側が有利であったと思われる。ジョーカーは縄張りを奪い返す立場にあり、失うものは何もない。ハービーが電話をかけてきた時、両陣営は会談(休戦協定)をすることになるが、実質的にはハービーの敗北宣言に等しい。
この電話の時に、ジョーカーはハービーに対して「俺の手元には、お前にとって致命的となる物的証拠がある。会談の時にそれを渡す。それと引き換えに、俺に縄張りを寄こせ」と要求したのではないだろうか(この時点では、ハービーは重婚がばれたとは予想しておらず、ケースの中身など知るよしもない)。
そして会談当日。ジョーカーの部下がハービーの部下にブリーフケースを渡す(96ページ5コマ目)。ブリーフケースの受け渡しはあらかじめ電話で決めていた約束事であり、ここまでは取引は順調に進んでいた。しかし、ジョーカーはハービーに「土下座しろ」と迫る。無理難題を突きつけられたハービーは、交渉が決裂しつつあることを悟り、用意していた奥の手を出すことにする。それがジョニー・フロストの前妻シェリーである。
殺された汚職警官はシェリーのことを「あのブス」と呼んでいたので(42ページ)、すでに面識があったことが窺える。ハービー側はかなり早い段階から、ジョニーやその前妻に目をつけていたらしい。しかし、シェリーというのは、ジョーカーにとっては部下の前妻にすぎず、会ったこともない赤の他人である。ハービー側の切り札としては、あまりにも弱い存在である。逆に言うと、ジョーカーにはそれぐらいしか弱点がなかったということである。ハービーにしてみれば、ハーレイ・クインあたりを誘拐して、取引材料に使いたかったのだろうが、それができなかったので、仕方なくシェリーを使う以外になかった、ということなのだろう。シェリーを巻き込むことで、ジョニー・フロストがこちらに寝返るかもしれないという期待もあったのだろう。
いずれにしろ、ハービーの策略は、自分に向かって跳ね返ってくることになる。ハービーが「妻」という要素を取引に持ち込んだことを受け、ジョーカーも同じように「妻」の要素を使って反撃に出ることにした。それがハービーのもう一人の妻、すなわち重婚の事実である。ジョーカーは「ハービーの左半分が結婚を隠している」という表現で、彼が重婚している事実を暴露する(98ページ)。
重婚の事実がばれたことを知ったハービーは、ジョーカーとの電話の内容を思い出し、この時点でブリーフケースのなかに入っているのが重婚の証拠書類であることに気づく。しかし、ハービーとて馬鹿ではない。そうした証拠を隠滅するための工作はあらかじめ準備していた。ハービーは「私がある人物に電話をかけるだけで、そのケースの中の証拠は一瞬で無意味なものになる」と語っている(99ページ)。
ケースのなかに入っているのが「婚姻届」だとしたら、市役所の担当者や二人の結婚を認めた牧師を買収(もしくは脅迫)して、原本のデータを始末させるとか、婚姻届には不備があって正式の書類とは認められない(したがって裁判では証拠として採用できない)というふうに細工をさせることができる。また、「遺言書」だとしたら、弁護士に連絡すれば、書類そのものを無効化することができるだろう。
ハービーの重婚という事実は、ジョーカーにとって大きな切り札だったと思われる。それは、ジョーカーが「重婚のことは秘密にしておこうと思ってたんだがな」と言っている(103ページ)ことからも窺える。また、96ページ5コマ目の時点で、何も言わずにブリーフケースを渡していることもそれを裏付けている。ジョーカーはこの会談において、ハービーの重婚を暴露するつもりはなかった。彼が重婚を暴露する気になったのは、ハービー自身が「妻」という要素を取引に持ち込んだからである。だから、「こうなったのはお前のせいだ」(103ページ)となるわけである。
|